なぜ横浜県じゃない?神奈川県の県庁所在地「横浜」誕生の真相と魅力

なぜ横浜県じゃない?神奈川県の県庁所在地「横浜」誕生の真相と魅力に関する質問を丁寧にまとめました。専門的な情報をチェックしましょう。

全国の47都道府県を見渡すと、東京都(新宿区/東京)、京都府(京都市)、大阪府(大阪市)をはじめ、大半の県は県名と県庁所在地名が一致しています。しかし、神奈川県の県庁所在地 横浜市という組み合わせは、知名度が全国トップクラスであるにもかかわらず合致していません。ネット上やSNSでも「かつて横浜県が存在したのか?」「神奈川県庁 所在地 なぜ横浜なのか?」といった疑問が定期的にバズを生んでいます。

この問いを紐解く決定的な鍵は、横浜県にならなかった真相と、江戸末期における国際条約の文言に隠されています。県名と県庁所在地が違う理由として、一般的には「明治政府による旧幕府派への懲罰説」などが語られがちですが、神奈川県の場合は全く異なる外交上の実利が働いていました。

安政5年(1858年)、江戸幕府がアメリカをはじめとする列強5カ国と結んだ日米修好通商条約において、開港場として指定された地名は「横浜」ではなく「神奈川」でした。当時、東海道の主要な宿場町として栄えていた神奈川宿(現在の横浜市神奈川区周辺)は、交通の要衝であり、多くの人々が行き交う拠点だったのです。

ところが、攘夷思想が吹き荒れる幕末において、外国人居留地を武士や一般庶民が往来する東海道沿いに置くことは、凄惨な刃傷沙汰を招くリスクを意味していました。そこで幕府は、神奈川宿の対岸に位置し、当時はわずか100戸足らずの寒村にすぎなかった「横浜村」に突貫工事で波止場や税関を建設したのです。

外国側からは「条約違反の隔離政策ではないか」と激しい反発を受けましたが、幕府は「横浜も神奈川の一部である」と強弁。この既成事実化によって現在の横浜港が開港しました。慶応4年(1868年)、明治新政府は横浜の旧奉行所に「横浜裁判所」を置きましたが、外交公電や条約上の呼称が「神奈川」であったことから、わずか数カ月で「神奈川裁判所」「神奈川府」へと改称され、最終的に同年9月に「神奈川県」が誕生しました。国際社会への説明責任と条約の整合性を重んじた結果、都市名が横浜に発展した後も、広域自治体の冠として「神奈川」の名が残り続けたのです。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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