シベリア出兵はなぜ泥沼化した?米騒動を招いた領土野心の真相を徹底解説
シベリア出兵はなぜ泥沼化した?米騒動を招いた領土野心の真相を徹底解説とはどんな影響があるのか? 背景や要点を簡潔に解説します。
シベリア出兵の余波は、極寒の戦場だけでなく、日本国内の庶民生活をも根底から破壊しました。その最たる事象が、1918年夏に全国を震撼させた「米騒動」です。
第一次世界大戦の好景気(大戦景気)に伴うインフレで米価は徐々に上昇していましたが、シベリア出兵の決定が事態を一気に爆発させました。米騒動との関係を読み解く決定的な鍵は、政府と商人の動きにあります。軍部が膨大な兵站を支えるため「兵站米(軍用米)」の大量買い付けに乗り出すという情報が流れると、米商人や投機筋が一斉に買い占めと売り惜しみを敢行。1918年初頭に1升(約1.5kg)15銭前後だった白米の価格は、出兵宣言直前の7月下旬から8月にかけて一挙に50銭を超える水準まで急騰したのです。
日給が50銭から1円程度だった一般労働者にとって、主食である米の暴騰は文字通りの飢餓を意味しました。7月23日、富山県魚津の漁村の主婦たちが米の積み出しを阻止した「越中女房一揆」を口火に、抗議運動は瞬く間に全国へ飛び火。大阪、京都、東京、名古屋などの大都市はもちろん、炭鉱や農村部に至るまで暴動が連鎖しました。警察力だけでは抑えきれず、政府は各地に軍隊を出動させて鎮圧を図る前代未聞の事態に発展しました。
当時の新聞論説や私的記録には、生活苦にあえぐ民衆の怒りが生々しく記されています。原敬はその日記(『原敬日記』)の中で、事態を軽視し国民の生活困窮に鈍感であった政府の無策を「失政の極み」と厳しく断じました。軍備拡張と対外干渉に熱中するあまり足元の民生を破綻させた責任を問われ、長州閥の軍人宰相であった寺内正毅内閣の総辞職は不可避となりました。この混乱の果てに誕生したのが、日本最初の本格的政党内閣とされる「原敬内閣」です。