モントリオール金・白井貴子の現在と真相!伝説エースの今に迫る

モントリオール金・白井貴子の現在と真相!伝説エースの今に迫るを徹底追究! 知っておきたい 重要ポイントを凝縮して配信します。

白井貴子が日本スポーツ界に遺した最大の衝撃は、その桁外れのスケールとフィジカル能力にありました。岡山県岡山市出身の彼女は、倉敷鉱業(倉敷紡績)を経て、日本女子バレーボールの名門である日立武蔵バレーボール部へ加入。名将・山田重雄監督の厳しい指導のもとで才能を完全に開花させました。

当時の女子バレー界において、身長180cmという体躯は世界基準でも屈指の大型選手でした。さらに特筆すべきは、最高到達点300cm超とも言われた圧倒的な跳躍力です。山田監督が考案した高速コンビネーションバレーの中で、前衛のみならず後衛からも強烈なスパイクを叩き込む「バックアタック」の先駆け的存在となり、名実ともに全日本女子バレーのエースとして君臨しました。

項目白井貴子の詳細データ1970年代の女子全日本平均編集部の見解・評価身長180cm約170cm〜173cmソ連や欧州の長身ブロックを上から打ち抜くための絶対的サイズ最高到達点約300cm〜305cm約280cm〜288cm当時の女子選手としては驚異的な打点の高さを誇り、男子並みの跳躍力を発揮五輪実績1972年ミュンヘン五輪銀メダル
1976年モントリオール五輪金メダル
出場枠争奪のみ2大会連続で表彰台に登壇し、日本女子を世界一に押し上げた不動の立役者国際的表彰2000年 バレーボール殿堂入り対象外(極少数のレジェンドのみ)日本人女子選手として史上初の快挙。世界バレー界における不滅の栄誉

1972年のミュンヘン五輪で銀メダルに終わり、宿敵ソ連の壁に跳ね返された悔しさをバネに、白井は山田監督の壮絶な練習に耐え抜きました。そして迎えた1976年モントリオール五輪では、1セットも落とさない完全優勝を達成。決勝のソ連戦で見せた豪快なスパイク連打は、昭和のスポーツ史に刻まれる不滅の名場面となっています。

斉藤 蓮

斉藤 蓮

デジタルマーケティングコンサルタント

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest