ムッソリーニはなぜ逆さ吊りに?遺体晒しの真相と愛人最期の全貌

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処刑後、ムッソリーニとクララ、そして同日処刑されたファシスト高官たちの遺体はトラックの荷台に積み込まれ、深夜の道を一路ミラノへと運ばれました。そして翌4月29日早朝、遺体が投げ出された場所こそがミラノのロレート広場でした。

独裁者の遺体はなぜ逆さ吊りにされなければならなかったのか。そこには2つの決定的な理由が存在します。

第1の理由は、1944年8月10日に同広場で起きた虐殺事件への報復です。当時、親衛隊(SS)とファシスト警察は、パルチザンの爆弾攻撃に対する見せしめとして、反ファシストの政治犯15名をロレート広場で銃殺し、遺体を真夏の路上に数日間放置して市民への威嚇に使いました。パルチザンとミラノ市民にとって、ロレート広場は屈辱と血の記憶が染み付いた場所であり、独裁者の遺体を同じ場所に晒すことは象徴的な「歴史の復讐」を意味していたのです。

第2の理由は、激昂した群衆による遺体損壊の防止と、確実な死亡の証明でした。広場に遺体が置かれると、数百人規模の群衆が押し寄せ、遺体を足蹴にし、唾を吐きかけ、銃弾を撃ち込むなどの激しいリンチ状態に発展しました。遺体の原型が失われるほどの混乱に危機感を抱いたパルチザンと消防隊は、遺体を民衆の頭上へ引き上げる措置を取りました。建設中だったスタンダード・オイル社のガソリンスタンドの梁にロープをかけ、足首を縛って逆さ吊りにしたのです。これにより、独裁者が確実に死亡した事実を遠くの市民まで視覚的に知らしめることとなりました。

この際、スカートを履いていたクララ・ペタッチの下着が露わになってしまったため、見かねたパルチザンや司祭が彼女のスカートの裾を自らのベルトや安全ピンで留め直したという逸話は、狂乱の中のわずかな人間性の発露として記録されています。

鈴木 陽菜

鈴木 陽菜

テックライター兼ウェブディレクター

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

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