なぜ朝廷は東北を狙ったのか?蝦夷征伐の真相とアテルイの激闘

なぜ朝廷は東北を狙ったのか?蝦夷征伐の真相とアテルイの激闘の重要なポイントについて、専門知識を詳しくお届けします。

アテルイの死後も、朝廷による完全支配は完成しませんでした。805年、東北支配を推し進めてきた桓武天皇の御前で、日本の国策を根底から覆す歴史的論争が勃発します。それが「徳政相論(とくせいそうろん)」です。

論争の当事者は、桓武天皇のブレーンであった二人の官僚でした。 侵略戦争の継続と平安京造営を主張する内蔵頭・菅野真道(すがののまみち)に対し、参議・藤原緒嗣(ふじわらのつぐひと)は次のように痛烈な告発を行いました。

「方今天下の苦しむ所は、軍事と造作とである。この二事を停めれば、百姓は安んじる」

藤原緒嗣の主張は、長期化する遠征と首都移転工事によって民衆が疲弊し、逃亡や偽籍が横行して国家基盤が崩壊寸前にあるという悲痛な現実告発でした。桓武天皇はこの言葉に激しく動揺し、苦渋の決断として「軍事(蝦夷征討)と造作(平安京建設)の即時停止」を宣言します。この瞬間、律令国家が掲げた「武力による東北完全征服」という国家プロジェクトは、財政破綻という現実を前に事実上の終焉を迎えました。

吉田 誠

吉田 誠

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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