ダイアナ妃の歴代恋人と最後の愛|外科医からパリの悲劇まで徹底追跡
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ハスナット・カーンに別れを告げられた直後、失意の底にあったダイアナ妃に救いの手を差し伸べたのが、老舗百貨店ハロッズのオーナーであったモハメド・アルファイドと、その長男ドディ・アルファイドでした。ドディは映画『炎のランナー』(1981年)の製作に携わるなどハリウッドで鳴らした映画プロデューサーであり、洗練された身のこなしと莫大な資産を持つ国際的プレイボーイとして名を馳せていた人物です。
1997年7月、アルファイド家が所有する超豪華クルーザー「ジョンカリカル号」での地中海バカンスに招かれたダイアナ妃は、ウィリアム王子とヘンリー王子を伴って参加。そこでドディから惜しみない愛情と最高級の歓待を受け、二人は急接近します。船上で抱き合う二人のスクープ写真は天文学的な価格でメディアに買い取られ、世界中を駆け巡りました。しかし、この急速な熱愛劇には「自分を捨てたハスナット・カーンに見せつけ、後悔させたい」というダイアナ妃の複雑な意図が絡んでいたと側近たちは指摘しています。
そして迎えた1997年8月30日夜。南仏からパリへ移動した二人は、リッツ・パリのプレジデンシャル・スイートに滞在した後、執拗に追うパパラッチを撒くため、ホテルの裏口からメルセデス・ベンツS280に乗り込みました。翌31日未明、アルマ橋下の地下トンネルに突入した車両は、制限速度50km/hを遥かに超える時速100km以上で暴走した末、13番目のコンクリート支柱に激突。車体は無残に大破し、ドディと運転手のアンリ・ポールは即死、ダイアナ妃も搬送先のピティエ・サルペトリエール病院で帰らぬ人となりました。
事故後、父モハメド・アルファイドは「二人は婚約間近であり、王室諜報機関(MI6)がイスラム教徒の義父誕生を阻止するために暗殺した」という陰謀論を強烈に主張し続けました。しかし、英仏両当局が数年を費やして実施した大規模捜査「パジェ作戦(Operation Paget)」の最終報告書(全871ページ)は、以下の事実を客観的証拠と共に認定しています。
- 運転手アンリ・ポールの血液中から基準値の3倍を超えるアルコールと抗うつ薬が検出されたこと
- 追跡するパパラッチを振り切るための無謀な速度超過
- 乗員全員がシートベルトを着用していなかったこと(唯一生存した警護官トレバー・リース=ジョーンズのみ重傷を負いながら生還)
- ダイアナ妃の妊娠説や婚約説を裏付ける医学的・客観的証拠は一切存在しないこと
結論として、世界を震撼させたパリの悲劇は、王室の謀略などではなく、パパラッチの暴走、飲酒運転、そして安全ベルトの未装着という幾重もの人為的過失が最悪の形で連鎖した結果であると公式に結論づけられています。