近衛十四郎の殺陣はなぜ神域なのか|松方弘樹ら一族秘話と名作の軌跡
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近衛十四郎の本名は目黒文四郎(めぐろ ぶんしろう)。1914年(大正3年)に新潟県長岡市で生まれ、戦前から戦後にかけて映画界を牽引しました。その私生活において築かれたのが、日本芸能史に燦然と輝く「目黒家」の家系です。妻は元女優の水川八重子であり、二人の間に生まれたのが、後に昭和を代表する大スターとなる長男・松方弘樹(本名:目黒浩樹)と、国際派俳優として活躍する次男・目黒祐樹でした。
家庭内における近衛十四郎は、撮影所での寡黙な姿そのままに、厳格でありながら深い愛情を持つ父親でした。松方弘樹が生前のインタビューや自著で振り返った回想録によると、父・近衛十四郎は家の中でも常に木刀を握り、素振りを欠かさない人物だったといいます。松方が東映に入社し、若手時代劇スターとして頭角を現した際、父の偉大すぎる背中は常に巨大な壁として立ちはだかりました。
「親父の殺陣には絶対に追いつけない」――そう痛感した松方弘樹は、父の直線的で重厚な剣戟とは異なる、歌舞伎のケレン味や華麗な身のこなしを取り入れた独自のスタイルを模索することになります。一方、弟の目黒祐樹はアメリカ留学を経て国際的な視野を身につけ、テレビドラマや映画で知的かつシャープなアクションを確立しました。後年、松方弘樹の息子である仁科克基や、目黒祐樹の娘である近衛はなへと才能が受け継がれ、近衛十四郎が蒔いた表現者の種は三代にわたって花開いています。