セックスピストルズ・シドの死因と伝説|ナンシー事件の真相に迫る
セックスピストルズ・シドの死因と伝説|ナンシー事件の真相に迫るの要点を丁寧に掘り下げてご紹介します。
1979年2月2日の朝、ニューヨーク・マンハッタンのアパートメントで、シド・ヴィシャス(本名:ジョン・サイモン・リッチー)は息を引き取っているのが発見されました。享年21。ニューヨーク市検視局による検視報告書は、死因をヘロインの過剰摂取(オーバードーズ)と断定しています。ナンシー殺害容疑で収監されていたライカーズ島刑務所から保釈されたわずか数時間後、友人たちが開いた出所祝いのパーティーでの出来事でした。
事件現場となったグリニッジ・ヴィレッジの部屋には、当時の新たな交際相手だったミシェル・ロビンソンと、シドの母であるアン・ビヴァリーが同席していました。刑務所内で約7週間の薬物抜きプログラムを受けていたシドの身体は、ドラッグへの耐性を完全に失っていました。そこへ純度極めて高いヘロインが体内に注入されたことが、呼吸停止を招く致命傷となったのです。
この悲劇において最も陰惨な事実は、息子にその致死量のヘロインを調達し、投与を幇助したのが実母アン自身であったという点です。母アンは1996年に自身が薬物自殺を遂げる直前、イギリスのジャーナリストや関係者に対し「シドが再び刑務所へ戻ることを極度に恐れていたため、私が致死量の薬物を与えた」という趣旨の告白を残しています。上着のポケットからは「ナンシーと死の契約を交わした。彼女の隣に埋めてほしい」というメモが発見されており、破滅へ向かう逃れられない運命が彼を飲み込みました。