旧三笠ホテル再開へ!軽井沢の鹿鳴館の歴史と見所・改修工事を徹底解説
旧三笠ホテル再開へ!軽井沢の鹿鳴館の歴史と見所・改修工事を徹底解説の基本情報から最新動向までを徹底的にカバーしました。
旧三笠ホテルが「軽井沢の鹿鳴館」と称されるようになった背景には、単なる宿泊施設を超えた明治・大正期の超一級のサロン文化が存在していました。1905年(明治38年)に着工し、翌1906年5月に開業したこのホテルを創業したのは、明治の実業家であり製粉会社などを率いた山本直良(やまもと なおよし)です。
山本直良は、日本初の西洋音楽教育機関である東京音楽学校の教授を務めた山本直純の祖父にあたり、妻・愛子は有島武郎や里見弴の妹という、まさに当時の芸術・文化界の最高峰と血縁で結ばれた人物でした。ヨーロッパを巡り、本場の社交界を体験した直良は、「日本にも欧米の王侯貴族をもてなすことができる本物のリゾートホテルを創る」という並々ならぬ情熱を傾けました。
当時、旧三笠ホテルに宿泊・逗留した顔ぶれは、近衛文麿、大隈重信、渋沢栄一、末松謙澄、徳川頼貞といった政財界の重鎮から、有島武郎をはじめとする白樺派の文豪たちに至るまで錚々たる名士ばかりでした。夜な夜なダイニングルームやロビーで開かれた晩餐会やダンスパーティーの華やかさは、まさに東京の鹿鳴館を高原の避暑地に移転させたかのようであったと、当時の手記や回顧録に克明に記されています。