上田晋也の早稲田大学中退理由と学歴の真相|名門中退から天下のMcへ
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上京し、念願だった早稲田大学の門をくぐった上田氏でしたが、待ち受けていたのは思い描いていた華やかな学園生活とは程遠い現実でした。熱望して入ったはずの大学で、上田晋也はなぜ中退したのか。その核心には、過度な期待と現実の落差による「徹底的な孤独」がありました。
自著『経験 この10年くらいのこと』や過去の特番インタビューで語られた証言によると、入学直後のガイダンスや新入生歓迎の輪の中で、上田氏は周囲の学生たちが醸し出す浮かれた空気やサークル特有のノリに強い違和感を覚えたといいます。浪人時代にストイックに学問と対峙してきた反動もあり、チャラチャラとした人間関係に同調できず、入学からわずか数週間で大学内に一人の友人も作れない「孤立状態」に陥ってしまいました。
講義を受けても誰とも言葉を交わさず、学食に一人で座る日々に耐えかねた上田氏は、次第に高田馬場のキャンパスから足が遠のいていきます。アパートの部屋に引きこもり、ラジオを聴きながら漫然と時間を浪費する中で湧き上がってきたのが、「このまま無為に4年間を過ごしていいのか」という焦燥感と、高校時代から胸の奥底で燻っていたお笑いへの情熱でした。
孤独の限界に達した上田氏は、当時すでに立教大学法学部に進学していた高校の後輩であり盟友の有田哲平氏に連絡を取ります。ここから、芸能史に残るコンビ結成劇が動き出しました。上田氏は有田氏をプロレス観戦やお笑いライブに誘い出し、言葉巧みに自らの世界へと引き込みます。そしてある日、喫茶店で決定的な言葉を投げかけました。
「俺は早稲田を中退する。お前も立教をやめて、一緒に天下を獲りに行こう」
有田氏からすれば青天の霹靂であり、親族の反対も予想される無謀な提案でした。しかし、上田氏の並々ならぬ熱量と自らの退路を断つ覚悟に心を動かされた有田氏は、最終的に有田哲平も立教大学中退という同じ道を選択します。こうして1991年、二人は「海砂利水魚」を結成し、早稲田と立教という名門大学の学歴を自ら放り投げ、お笑いという不確かな世界へと飛び込んだのです。