任天堂を世界企業へ導いた山内溥の伝説|名言・遺産・後継者指名の真相
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2002年5月、山内溥が53年に及ぶ社長の座を退く際、後継者に指名した人物は財界を仰天させました。山内の長男である克仁や創業家筋ではなく、子会社でもない関連開発会社・HAL研究所の出身であり、入社わずか2年の岩田聡(当時42歳)だったからです。
山内と岩田の関係は、HAL研究所が経営危機に陥った1992年に遡ります。再建支援の条件として山内が提示したのは「岩田が社長に就任すること」でした。天才プログラマーでありながら、開発者たちの感情を丁寧にヒアリングして組織を立て直した岩田の「説明力」と「理路整然とした大局観」を、山内は京都の本社で定期的に行われた面談を通じて見定めていたのです。
当時、退任会見の場で山内は岩田を指名した理由について次のように語っています。「任天堂の社長が務まるのは、開発のことがわかり、かつ経営の言葉で語れる人間だけや。それにふさわしい器量は岩田君しかいない」。自らのカリスマによるトップダウン体制の限界を察知した山内は、後任の岩田に対し、集団指導体制への移行と、自らは相談役に退いて経営への一切の口出しを行わない「完全な権限移譲」を約束しました。
この冷徹なまでの客観性と人選の妙が、その後の「ニンテンドーDS」や「Wii」の世界的爆発、そして現在の任天堂の隆盛へと直結した事実は、後継者選びに悩む現代の日本企業にとって極めて示唆に富む実例です。