岩崎弥太郎と三菱の真実|極貧地下浪人から巨大財閥を築いた男の軌跡

今注目を集めている 岩崎弥太郎と三菱の真実|極貧地下浪人から巨大財閥を築いた男の軌跡について、詳しいまとめをご紹介しています。

明治初期の日本の海運界は、アメリカの太平洋郵船やイギリスのP&Oといった外国船社が沿岸航路を牛耳っていました。明治政府は国防および経済自立のため国産海運の育成を急務としており、弥太郎はこの国家戦略を千載一遇の好機と捉えます。大久保利通や大隈重信といった政府要人と緊密なパイプを構築した弥太郎は、1874年の台湾出兵において、欧米船社が中立を理由に軍事輸送を拒否する中、危険を顧みず全社を挙げて軍事輸送を完遂しました。

この功績により政府の全幅の信頼を獲得した弥太郎は、政府保有船13隻の無償下げ渡しと巨額の航海助成金を引き出し、1875年に「郵便汽船三菱会社」を設立。外国船社との熾烈な運賃値下げ競争を制し、日本の沿岸海運から海外勢力を駆逐することに成功します。

そして1877年(明治10年)、最大の転機となったのが西郷隆盛らが蜂起した西南戦争でした。政府軍の兵員・軍需品輸送のほぼ全量を一手に引き受けた三菱は、保有船のフル稼働のみならず海外から急遽船を買い増して対応。この戦争により三菱が得た純利益は当時の国家予算の数%に達する数百万円(現在の価値で数百億〜千億円規模)にのぼり、弥太郎は名実ともに日本最大の海運業を支配する政商として君臨することになりました。

項目岩崎弥太郎(三菱)渋沢栄一(共同運輸・日本郵船)編集部の歴史的評価経営統治モデル独裁的同族経営
(総裁に全権を集中させ迅速に決断)合本主義(株式会社)
(広く民間資本を集め衆議で決定)激動の黎明期には弥太郎の突破力が勝り、産業定着期には渋沢の仕組みが機能した。国家・政治との距離政商としての直結
(大隈重信らと組み国策を独占受託)官民調和と公益優先
(道徳経済合一説に基づき独占を排除)弥太郎の政商手法は強大な資本蓄積を可能にしたが、政変時の脆弱性も抱えた。海運戦争時の戦略徹底的な運賃値下げと船員待遇改善による敵の兵糧攻め反三菱勢力・三井系資本と結託した「共同運輸会社」設立共倒れの危機を招いたが、結果として世界水準の海運会社(日本郵船)誕生に結実。
石川 優花

石川 優花

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest