手のひらを太陽にの深層|やなせたかし極貧と絶望から生まれた命の叫び
手のひらを太陽にの深層|やなせたかし極貧と絶望から生まれた命の叫びにまつわる興味深い視点を詳しく紐解きます。
世代を超えて歌い継がれる『手のひらを太陽に』ですが、その出生の背景が華やかなステージとは対極の、うらぶれた暗闇だった事実はあまり知られていません。1961年(昭和36年)当時、42歳だったやなせたかし氏は、手塚治虫氏をはじめとする新進気鋭の天才たちが昭和の漫画界を席巻する傍らで、本業の漫画では一切ヒットが出ず、舞台美術や放送作家、イラストの下請けなど「何でも屋」として糊口をしのぐ日々を送っていました。
後の自著や回顧録において、やなせ氏は当時の心境を「漫画家としては全くの無名。仕事の依頼はなく、銀行の預金残高も底をつき、自分には何の才能もないのではないかと毎晩悔し涙を流していた」と吐露しています。当時の昭和カルチャーが高度経済成長の熱気に向かって突き進むなか、築き上げたキャリアも見えぬまま40歳を過ぎた焦燥感は、想像を絶する重圧となってやなせ氏を苛んでいました。
決定的な契機となったのは、東京のアトリエ兼自宅で過ごした厳冬の深夜でした。暖房器具を点ける灯油代すら惜しい室内で、寒さに耐えかねて縮こまり、かじかむ指先を見つめていたときのことです。机の電気スタンドに何気なくかざした自らの手のひら。その分厚い皮膚の奥で、電球の白熱光に透かされて浮かび上がったのは、ドクドクと拍動する真っ赤な毛細血管でした。
「世間から必要とされず、金もなく、絶望の淵にいる自分であっても、この体の中には確かに温かい血潮が流れている。自分はまだ、全力で生きているのだ」
周囲との比較に疲れ果て、自己否定の極限に達していた男が直視した、抗いようのない生命の動態――。この夜の実存的体験こそが、『手のひらを太陽に作詞者』としてのやなせたかし氏に神が授けたインスピレーションでした。ペンを握る手は震えていたものの、あふれ出る感情を殴り書きにしたノートから、わずか数分で伝説の詩句が誕生したのです。