渋沢栄一は何した人?新一万円札の顔となった「資本主義の父」の全貌

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渋沢栄一の経歴は、極めて特異かつドラマチックです。2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』で吉沢亮さんが好演したことでも広く知られるようになりましたが、その歩みは身分制度の激変をそのまま体現したものでした。

【渋沢栄一の生涯 年表・主な足跡】

・1840年(天保11年):武蔵国血洗島(現在の埼玉県深谷市)の裕福な農家に生まれる。藍玉の製造販売を手伝い、幼少期から商才を発揮。
・1863年(文久3年):尊王攘夷思想に傾倒。高崎城乗っ取りや横浜焼き討ちを企てるも、従兄の説得で中止し京都へ逃亡。
・1864年(元治元年):一橋家の家臣・平岡円四郎の推挙を受け、一橋慶喜(後の第15代将軍・徳川慶喜)に仕官。農民から武士への大転身を遂げる。
・1867年(慶応3年):慶喜の弟・徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会へ派遣。欧州の近代産業と銀行、株式会社制度、そして国家元首と対等に話す実業家の地位に衝撃を受ける。
・1868年(明治元年):帰国後、大政奉還によって静岡で隠棲していた慶喜の元へ戻り、日本初の株式会社形態組織「静岡商法会所」を設立。
・1869年(明治2年):大隈重信の強い要請を受け、明治新政府の大蔵省に出仕。租税制度、貨幣制度、国立銀行条例の制定を主導。
・1873年(明治6年):予算方針をめぐり大久保利通らと対立し、大蔵省を辞職。「官ではなく民から国を富ませる」と決意し実業界へ進出。
・1931年(昭和6年):満91歳で死去。葬列には民間人としては異例の数万人が沿道に詰めかけた。

特筆すべきは、主君である徳川慶喜との生涯にわたる絆です。渋沢は維新後、朝敵とされた慶喜の名誉回復に奔走し、膨大な資料を集めて『徳川慶喜公伝』を編纂しました。権力闘争で敗れ去った旧主への恩義を決して忘れなかった義理堅さも、彼が多くの人々から信頼を集めた根幹にあります。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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