天才詩人・中原中也の死因とは?30歳で急逝した真相と愛息の死

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中原中也の生涯を語る上で欠かせないのが、文芸評論家・小林秀雄と、女優・長谷川泰子との奇妙で濃密な三角関係です。

10代の京都時代、中也は3歳年上の長谷川泰子と同棲生活を始めます。しかし上京後、中也の才能を誰よりも早く見出していた親友の小林秀雄のもとへ泰子が去るという、痛烈な裏切りと挫折を経験しました。この事件は中也の心に深い傷を残しましたが、驚くべきことに中也と小林の友情はその後も完全に途絶えることはありませんでした。小林は中也の詩の類まれなる価値を終生認め続け、中也もまた自らの文学的理解者として小林を頼り続けたのです。

病に倒れた中也が鎌倉養生院に入院できたのも、鎌倉に居を構えていた小林秀雄の奔走によるものでした。臨終の間際、混濁する意識の中で中也が発した最期の言葉には、詩人の切実な本音が刻まれていました。駆けつけた母・フクに対し、中也は枕元でこう静かに語りかけたといいます。

「お母さん、お前は私を良い子だと思つてゐたか」

母が「良い子でしたよ」と答えると、中也は安堵したように微笑み、「本当は私、もっと生きたかった……」と呟いたと伝えられています。また、親友の小林秀雄に対しては、自らの第二詩集となる『在りし日の歌』の原稿一式を清書した状態で託し、「これを頼む」と言い残しました。小林はその遺言を重く受け止め、中也の死の翌年、自らの手でこの不朽の名詩集を世に送り出しています。

加藤 愛美

加藤 愛美

エンタメ専門ジャーナリスト

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。

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