ホンダを世界企業へ導いた藤沢武夫|本田宗一郎との絆と電撃引退の全貌
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1973年10月、ホンダの創立25周年を迎えた席上、藤沢武夫と本田宗一郎は揃って退任を発表し、世界中の財界に大きな衝撃を与えました。まだ60代前半という経営者として脂が乗り切った時期の電撃引退の裏には、藤沢が長年温めていた確固たる信念がありました。
引退の直接的な契機となったのは、低公害エンジン「CVCC」の開発成功と、次世代エンジンの冷却方式をめぐる宗一郎と若手技術者の意見対立でした。空冷エンジンに執着する宗一郎に対し、若手陣は水冷の優位性を主張。藤沢は宗一郎に「技術者の道を歩むのか、それともホンダの社長として会社を優先するのか」を静かに問いかけ、若手への権限移譲を促しました。
自らの役割の終焉を悟った藤沢は、宗一郎に「私はこれでおしまいにするが、本田さんはどうしますか?」と切り出しました。宗一郎は間髪を容れず、「お前が辞めるなら、俺も辞めるよ」と応じたと伝えられています。著書『経営に終わりはない』で語られる通り、「企業の永続性のために、創業者は最高のタイミングで後進に道を譲らねばならない」という哲学が、完璧な形で実行された瞬間でした。