【原敬の正しい読み方】「はらたかし」が示す平民宰相の実像と暗殺事件の深層
【原敬の正しい読み方】「はらたかし」が示す平民宰相の実像と暗殺事件の深層に関する専門家の意見を分かりやすく解説いたします。
原敬の政治姿勢を理解する上で、その生い立ちは決定的に重要だ。原は岩手県盛岡市(旧・南部藩領)の下級藩士の家に生まれた。戊辰戦争で賊軍とされた南部藩は、明治維新後に厳しい処遇を受ける。原自身、幼少期から「負け組」の屈辱を肌で感じて育った。
この出自が、原の「権力への執着」と「権力者への距離感」を同時に生んだ。彼は藩閥政府の外側から権力を奪取するために、政党という装置を徹底的に活用した。同時に、自分自身が華族になることを拒み、爵位を受けなかった。この点が「平民宰相」の呼称と相まって、当時の民衆から圧倒的な支持を集める要因となった。
原の名言として知られる言葉に、「私は政友会の力を以て天下の大政を執る」という趣旨の発言がある。これは単なる権力欲ではなく、「藩閥でも軍でもなく、政党という国民の代表機関が政権を担うべきだ」という信念の表明だった。
一方、原は非常に用心深い人物でもあった。暗殺の直前まで、側近から護衛を付けるよう勧められても「自分を殺しても何の得もない」と笑って断ったという。この「大丈夫だ」という楽観が、結果的に凶刃を許すことになった。権力者でありながら権力者の奢りを持たなかったがゆえの、皮肉な最期だったと言えるかもしれない。