平野区・全興寺の地獄堂が怖すぎる真相!閻魔大王の裁きと見どころ
平野区・全興寺の地獄堂が怖すぎる真相!閻魔大王の裁きと見どころに関する深掘り解説を詳しく解説いたします。
おどろおどろしい地獄巡りばかりがクローズアップされがちですが、全興寺の歴史と由緒は極めて格式の高いものです。寺伝によると、その起こりは今から約1400年前の飛鳥時代、聖徳太子が平野の野中の地に小さな庵を建立し、自作の薬師如来像を安置したことに遡ります。
この薬師堂の周囲に次第に人々が集まり、環濠を巡らせた町が形成されていきました。つまり全興寺は、現在の大阪市平野区の原点であり、「平野発祥の地」として地域を見守り続けてきた信仰の拠点なのです。山号は野中山(やっちゅうざん)と称し、地域住民からは親しみを込めて「平野薬師」とも呼ばれています。
江戸時代初頭の1615年「大坂夏の陣」では激しい戦火に巻き込まれ、本堂の一部を焼失する憂き目に遭いました。しかし、激動の時代を乗り越えて再建された本堂は、大阪府内でも有数の古い木造建築としての威容を今に伝えています。中世から近世にかけて自治都市として繁栄した平野郷の息吹が、この境内の随所に色濃く残されています。