三島由紀夫の愛刀「関の孫六」の真実|自決と介錯の謎・真贋と保管場所の現在
三島由紀夫の愛刀「関の孫六」の真実|自決と介錯の謎・真贋と保管場所の現在を徹底追究! 知っておきたい トピックの裏側を凝縮して配信します。
昭和史の分水嶺となった三島事件において、民間防衛組織「楯の会」を率いる三島由紀夫が帯刀していたのが、美濃鍛冶の最高峰と称される関の孫六 兼元の銘を持つ日本刀でした。三島は文弱を退け「文武両道・知行合一」の境地を追究する中で、古流居合や剣道(教士五段)に傾倒し、実践的な武器としての日本刀に強い執着を抱くようになります。
当時の関係者や刀剣商の証言によると、この刀は1969年前後、三島が信頼を寄せていた元陸軍将校や知人の仲介を通じて入手したとされています。三島はこれを旧日本陸軍の軍刀拵え(革巻き仕様)に仕立て直し、楯の会の演習や出撃のシンボルとして常に身辺に置きました。「名刀の切れ味と武士道の実践」を自らの肉体で完結させるため、市ヶ谷駐屯地・総監室への突入時にも一切の躊躇なくこの刀を佩用(はいよう)したのです。