七五三掛という苗字の謎を追う!読み方の由来と全国330人の真相
七五三掛という苗字の謎を追う!読み方の由来と全国330人の真相の注目されている理由を丁寧にまとめました。全体像を一目で把握できます。
なぜ茨城県古河市にこれほど集中しているのか。この地が発祥の地なのか、それとも他所から移り住んできたのか。現地調査を進めると、ふたつの極めて有力な歴史的ルートが浮かび上がってきます。
ルート1:茨城県古河市に根付いた武家・社家集団説
第一の有力な説は、室町時代から戦国時代にかけて関東の中心地として栄えた「古河公方(足利氏)」に由来する説です。下野国足利郡(現在の栃木県足利市周辺)に存在したとされる「七五三掛」の小字や神域から、古河公方の家臣団、あるいは古河藩の寺社奉行配下の神職・修験者としてこの地に移り住んだ一族が、そのまま土着して名字を名乗り続けたという伝承です。現在でも古河市宮前町や市内中心部に古くからの本家筋が点在しています。
ルート2:山形県西川町・出羽三山の注連掛信仰からの波及説
もうひとつの重要な地名遺構が、山形県西村山郡西川町に実在する「大字七五三掛(しめかけ)」です。ここは出羽三山(湯殿山)の信仰拠点であり、参詣者が身を清めて聖域に入るための「注連掛宿房」が存在した霊地でした。湯殿山の山岳修験者(山伏)たちは関東各地へ布教行脚を行っており、そのネットワークを通じて関東の拠点であった古河周辺に定住した行者一族が、自らの修験の出自を示すために「七五三掛」を名乗ったという歴史的背景も指摘されています。
家紋に「丸に下がり藤」や「抱き茗荷」が多く見られる点も、中世の修験道や神道系の奉仕者、あるいは藤原北家の系譜を引く武士たちが神事に関与していた名残を強く物語っています。