心琴に触れるは誤用?琴線に触れるとの違いと語源を徹底解説
心琴に触れるは誤用?琴線に触れるとの違いと語源を徹底解説についての真相を徹底解説します。
SNSや大手質問掲示板、ビジネス研修の現場をリサーチすると、この言葉にまつわるリアルなトラブルが後を絶ちません。
某大手IT企業の人事担当者が明かした手記には、次のような生々しい事例が記されていました。
「新入社員の研修日報で『配属先の上司からのアドバイスが心琴に触れ、涙が出そうになりました』と書かれていた。本人は最大限の敬意と感動を伝えたかったのだろうが、役員から『基本的な日本語教育はどうなっているのか』と指導が入る事態になった」
悪気がないどころか、純粋な感謝や感動を伝えようとした結果として恥をかいてしまうケースが頻発しています。さらに厄介なのは、ビジネスメールでの注意点とマナーにおける「視点の非対称性」です。
仮に正しい表現である「琴線に触れる」を使ったとしても、取引先や上司などの目上に対して使うこと自体がマナー違反とみなされる場合があります。「琴線に触れる」という行為は、「相手の言動を自分が鑑賞し、心が動かされた」という受け身かつ審査員的なニュアンスを含みます。目下の者が目上の人に向かって「あなたの言葉が私の琴線に触れました」と送ることは、「あなたが私を感動させた(合格点を与えた)」という上から目線の響きを帯びてしまうためです。