新庄剛志の高校時代|西短伝説と甲子園不出場の真相を徹底検証
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高校時代の新庄剛志は、全国的なスラッガーとして騒がれていたわけではありません。しかし、その身体能力と守備力は、プロのスカウト陣の目にとまると突出した輝きを放っていました。
項目詳細・数値データ一般的な基準・相場編集部の見解・評価出身校西日本短期大学附属高等学校(福岡県八女市)福岡私学の伝統校新庄卒業から2年後の1992年に全国制覇を果たす強豪基盤。高校通算本塁打約15本プロ注目選手:30〜50本以上本塁打数は平均的だが、木製バットへの対応力と打球速度が傑出していた。守備ポジション中堅手・遊撃手・投手エースで4番、または捕手投げては140km/h超、遊撃手と外野をこなす天性のユーティリティ性。身体能力指標遠投120m / 50m走6秒0遠投100m / 50m走6秒3プロ野球の一軍レギュラーと比較しても当時から最上位クラス。甲子園最高実績不出場(1989年福岡大会準優勝)聖地出場・ベスト8以上全国未経験というハンデが、かえってプロでの反骨心に火をつけた。ドラフト指名順位1989年 阪神ドラフト5位上位指名(1〜2位)契約金3,500万円・年俸360万円(推定)。下位指名からの稀有な大出世例。
通算本塁打数こそ現代の高校野球基準から見れば決して多くはありませんが、金属バット全盛の時代にあってもスイングスピードと守備範囲の広さは群を抜いていました。特筆すべきは投手としても最速140キロを超え、遊撃手を務めながら外野もハイレベルで守るなど、天性の野球センスが高校時点で確立されていた点です。