ノルマントン号事件の闇|なぜ日本人は見殺しに?判決と条約改正の真実

ノルマントン号事件の闇|なぜ日本人は見殺しに?判決と条約改正の真実についての真相をご紹介します。

禁錮3か月という茶番劇のような結末に対し、日本国民の怒りは沸騰しました。『東京日日新聞』や『時事新報』などの主要各紙は連日社説で英国の不法と領事裁判制度の不当性を糾弾。各地で犠牲者遺族を支援するための義捐金募集運動が展開され、当時の金額で数万円(現代の価値にして数億円規模)にのぼる浄財が瞬く間に集まりました。全国津々浦々で開かれた抗議演説会には数千人規模の群衆が押し寄せ、「国家の主権を取り戻せ」という叫びが日本中を覆い尽くしました。

この巨大な世論の炎が直撃したのが、当時の外務卿・井上馨が進めていた「欧化政策(鹿鳴館外交)」です。井上は西洋列強に日本が近代文明国であることを認めさせようと、連夜の舞踏会やバザーを開催し、条約改正交渉を進めていました。しかし、その妥協案の中身は「外国人判事を日本の裁判所に登用する」という、さらなる主権侵害を含んだ屈辱的な内容でした。

「自国民を見殺しにされ、法廷で愚弄されてなお、なぜ白人に媚びを売るのか」――自由民権運動の活動家だけでなく、政府内部の保守派や法学者のボアソナードまでもが井上外交に激しい反旗を翻しました。国辱に対する国民の怒りは留まるところを知らず、孤立無援となった井上馨は1887年に条約改正交渉の中断を宣言し、外務大臣の辞任へと追い込まれたのです。ノルマントン号事件は、表面的な西洋模倣で列強の機嫌を取ろうとした明治初期外交に、決定的な引導を渡す契機となりました。

吉田 誠

吉田 誠

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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