平安時代の平均寿命は30歳?貴族と庶民の格差と早逝の真相に迫る
平安時代の平均寿命は30歳?貴族と庶民の格差と早逝の真相に迫るに関する気になる情報を初心者にも親しみやすくまとめました。詳細を読もうことができます。
平安時代を生きた具体的な著名人の寿命を検証すると、当時の死因の真相と貴族社会を襲った生活習慣病の実相がより鮮明に浮かび上がります。
藤原道長:享年62歳(数え)|栄華の頂点で苦しんだ「飲水病」の恐怖
平安時代最大の権力者である藤原道長は、1028年に数え62歳で没しました。当時の平均から見れば十分に長寿の部類に入りますが、その晩年は壮絶な闘病の連続でした。
藤原実資の日記『小右記』や道長自身の日記『御堂関白記』には、道長の身体に生じた異変が生々しく書き遺されています。40代半ばから「昼夜を問わず大量の水を飲みたがる」「口渇が止まらない」「急激に視力が衰え、人の顔が識別できなくなる」といった記述が頻出します。これは現代医学における重度の糖尿病(当時は飲水病と呼ばれた)の典型的な合併症です。
運動を忌避し、白米と甘酒、塩漬けの魚介類を過剰摂取し、連夜の宴席と過酷な権力闘争による慢性的ストレスを抱えていた道長は、糖尿病性網膜症で視力をほぼ失い、免疫力低下から背中に生じた巨大な悪性腫瘍(癰=よう、カルブンケル)による敗血症性の衰弱によって命を落としました。どれほど権勢を誇ろうとも、代謝異常に対する医学的知見が存在しなかった時代の無力さを物語る実例です。
紫式部:40代〜50代没説|死生観を支配した無常感
『源氏物語』の作者である紫式部の寿命と没年については諸説あり、長元4年(1014年)頃に40代前半で没したとする説から、治安年間(1020年代半ば)まで生存し50代半ばまで生きたとする説まで専門家の間で議論が続いています。
いずれにせよ、彼女が同時代を生きた多くの貴族女性と同様に、40代から50代という枠組みの中で生涯を終えたことは確実視されています。『紫式部日記』や『源氏物語』の随所に見られる濃密な「もののあはれ」や無常観は、単なる文学的修辞ではありません。身近な肉親(母や姉、夫の藤原宣孝)が次々と疫病や産褥熱で若くして命を落とし、自身もまた常に死の影に怯えながら筆を執っていた当時の貴族女性の切実なリアリズムの反映です。
歴代天皇の在位と寿命:在位数年で崩御した夭折の記録
歴代天皇の平均寿命を平安期(第50代桓武天皇から第77代後白河天皇まで)に限定して分析すると、その平均享年は約42歳にとどまります。70歳以上まで生きたのは白河天皇(享年77)などごく一部の院政期権力者に限られ、一条天皇(享年32)、三条天皇(享年42)、後一条天皇(享年29)など、20代から30代で病に倒れ崩御あるいは退位した例が連続しています。過密な宮廷儀礼、近親婚の連続による遺伝的脆弱性、そして後述する栄養障害が最高権力者の生命をも縮めていました。