徳川慶喜は何代目?最後の第15代将軍となった理由と知られざる晩年
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大政奉還と江戸無血開城の後、慶喜は一切の政治的野心を捨て去り、静岡(駿府)の地で約30年間に及ぶ長い隠棲生活に入りました。この時期の慶喜は、政治への口出しを厳格に戒め、写真撮影、油絵、狩猟、投網、囲碁、そして当時日本に輸入されたばかりの自転車の運転など、多彩な趣味に没頭する日々を送りました。地元住民からは「ケイキ様」と親しまれ、その暮らしぶりは非常に穏やかなものでした。
やがて明治政府の体制が強固になると、明治31年(1898年)に慶喜は明治天皇への拝謁を許され、正式に名誉回復を果たします。さらに明治35年(1902年)には公爵の爵位を授かり、徳川宗家とは別に「徳川慶喜家」を創設。貴族院議員としても議政の場に復帰しました。
慶喜は大正2年(1913年)11月22日、急性肺炎のため76歳で逝去しました。歴代の徳川将軍15人の中で最も長生きした将軍でもあります。なお、彼の子孫は現在も続いており、徳川慶喜家の血脈は令和・2026年の現代に至るまで脈々と受け継がれています。