中村歌右衛門の現在と名跡の重み|六代目の功績と七代目襲名の真相
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歌舞伎の歴史において「中村歌右衛門」の名は、初代が宝暦年間に大坂で名乗って以来、常に歌舞伎界の中心であり続けました。立ち役から女方まで幅広い芸域を誇った三代目や四代目など、歴代の歌右衛門はいずれもその時代の歌舞伎を牽引する大スターでした。その名跡の価値を決定的なものにしたのが、近代歌舞伎の巨匠と讃えられた五代目中村歌右衛門、そしてその至芸を完璧な形で昇華させた六代目中村歌右衛門です。
1917年に五代目の三男として生まれた六代目は、幼少期に罹患した病の後遺症により左足に障害を抱えていました。立ち回りや激しい所作に物理的な制約を抱えながらも、六代目は徹底した修練と精神性によって自らの肉体を鍛え上げ、それを比類なき気品と緊迫感に満ちた独自の様式美へと転化させました。『伽羅先代萩』の政岡、『籠釣瓶花街酔醒』の八ツ橋、『壇浦兜軍記』の阿古屋など、六代目が演じた大役は今なお「歌舞伎史上到達し得た最高の美」として語り継がれています。
1968年には重要無形文化財保持者(人間国宝)各個認定を受け、1979年には文化勲章を受章。半世紀にわたり歌舞伎界の頂点に座し続けたその経歴は、単なる名優の枠を超え、戦後日本文化の象徴そのものでした。