早稲田に医学部がない理由とは?慶應との違いと合併構想の真相【2026】
早稲田に医学部がない理由とは?慶應との違いと合併構想の真相【2026】に関する疑問や疑問点を初心者にも親しみやすくまとめました。詳細を読もうことができます。
早稲田大学に医学部が存在しない最大の要因は、両校が歩んできた創立初期の歴史的経緯と創立者の理念の違いにあります。早慶両校の歴史を紐解くと、医学部設置をめぐる明暗は明治から大正期にかけてすでに分かれていました。
慶應義塾大学の医学部は、1917(大正6)年に創設されました。創立者である福澤諭吉が、ドイツ留学から帰国した世界的細菌学者・北里柴三郎の研究所設立を私財を投じて支援したという深い恩義がありました。北里はその恩義に報いるため、慶應義塾に医学科が設置された際に初代医学部長を無報酬で引き受け、一流の研究者・臨床医を一挙に集結させたのです。この強固な人的ネットワークと学祖同士の信頼関係が、現在の「慶應医学部」の絶対的なブランドを形作りました。
対照的に、早稲田大学の創立者である大隈重信は、近代日本の法制・政治・経済の確立、そしてジャーナリズムの育成を最優先課題に掲げました。1920(大正9)年の大学令公布に伴い、私立大学の正式認可を受ける過程で、早稲田も医学部設置を検討しなかったわけではありません。当時の記録や関係者の手記によると、医学部および付属病院の開設には、文科系学部の新設とは比較にならない莫大な敷地面積と巨額の設立資金が必要とされました。大隈自身も医学の重要性を認識していたものの、当時の早稲田は理工科(現在の理工学術院)の拡充にリソースを注ぎ込んでおり、資金調達の優先順位から医学部構想は棚上げにされたのです。