エア・インディア182便爆破事件の真相|成田との接点と裁判の闇
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182便がアイルランド沖で爆破されるわずか55分前、日本時間1985年6月23日午後3時19分、新東京国際空港(現・成田国際空港)の第1ターミナル手荷物引き渡し場で突如爆発が発生しました。これがいわゆる成田空港手荷物爆発事件です。
カナダのバンクーバーから到着したCPエアー(カナダ太平洋航空)003便から、バンコク行きのエア・インディア301便へ積み替え作業を行っていた最中、コンテナ内のスーツケースに仕込まれていた爆弾が炸裂。荷物を扱っていた日本人作業員2名が死亡し、4名が重軽傷を負いました。
当初は別々の事故・事件と見られた2つの爆発ですが、捜査の進展によって恐るべき共通点が浮き彫りになります。犯行グループは、太平洋回りと大西洋回りの2機のエア・インディア機をほぼ同時刻に爆破させる計画を立てていました。成田での爆発は、タイマーの設定ミスか乗り継ぎ時間の計算狂いにより地上で爆発したため最悪の事態(301便の空中爆破)を免れたものの、大西洋上空では計画通りに起爆してしまったのです。