竹内まりや『September』歌詞の真相!からし色のTシャツと別れの理由

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この名曲が生まれた1979年当時、竹内まりやは慶應義塾大学在学中の女子大生シンガーとして脚光を浴びていたものの、シングルセールス面では決定打を模索している過渡期にありました。デビュー曲『戻っておいで・私の時間』、2作目『ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風〜』に続き、陣営が勝負作として白羽の矢を立てたのが、すでにヒットメーカーとして頭角を現していた作曲・林哲司と作詞・松本隆のコンビでした。

林哲司が後年の音楽インタビューや対談で述懐している通り、当時のディレクター陣から課された至上命題は「竹内まりやの明るく健全なパブリックイメージを壊さずに、大人のシンガーへと脱皮させること」でした。そこで林は、湿っぽいフォーク調や過度に劇的なマイナーコードを徹底的に排除。16ビートの軽快なリズムに、洗練されたメジャー・セブンス系のコードプログレッションを配置し、「失恋ソングでありながら、ステップを踏みたくなるような極上のポップス」を構築しました。

松本隆はそのメロディを受け取り、当時まだ珍しかった「キャンパスライフの知的な空気感」と「アメリカ西海岸の乾いた切なさ」を絶妙に融合させました。レコーディング現場では、まだデビュー前だったEPOがコーラスアレンジとバッキングボーカルで参加。幾重にも重ねられた爽快なコーラスワークと林哲司の緻密なストリングスアレンジが融合した瞬間、昭和歌謡の枠組みを打ち破る新たな都市型ポップス、すなわちジャパニーズ・シティポップの金字塔が誕生したのです。

中川 明日香

中川 明日香

ビジネス戦略アナリスト

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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