『火垂るの墓』清太はなぜ働かなかったのか?クズ批判の真相と悲劇

『火垂るの墓』清太はなぜ働かなかったのか?クズ批判の真相と悲劇の真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉でご紹介しています。

清太と節子を預かった西宮の叔母(親戚の小母さん)は、長年「意地悪で冷酷な人間」の代表格として語られてきました。清太の母の形見である着物を勝手に米に変え、自分の娘や下宿人には白いご飯を盛り、清太と節子には汁ばかりの雑炊を配分する描写は、多くの視聴者に強い不快感を与えました。

しかし、当時の配給制度と生活実態を検証すると、叔母側の言い分にも一定の合理性があったことが分かります。当時の米は完全配給制であり、配給量は「労働に従事している者」に多く、「働いていない者」には少なく割り振られていました。叔母の娘は工場へ働きに出ており、下宿人の青年も国のために働いていました。一方、清太は家事を手伝うこともなく、防空壕掘りや町内会の共同作業にも参加しませんでした。

叔母からすれば、「国家総力戦の極限状態において、何の生産活動もせず、ただ飯を食い、家事の手伝いもしない居候」に対して不満を募らせるのは自然な感情でした。叔母が放った「あんたらは御国のために何か役に立ってるのか」という言葉は、当時の銃後社会における絶対的な正論だったのです。

清太の側には、「自分は海軍大佐の息子である」という強烈なプライドがありました。裕福な家庭で何不自由なく育った清太にとって、頭を下げて居候の身分に甘んじることや、庶民の泥臭い生活ルールに従うことは耐え難い屈辱でした。このエリート意識と未熟なプライドが、叔母との歩み寄りを阻み、防空壕での自炊生活という破滅的な選択へと突き動かしていったのです。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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