京都はなぜ戦火を免れたのか?原爆標的除外の真相と空襲被害の実態
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京都の都市史を俯瞰すると、この街は太平洋戦争以前にも幾度となく壊滅的な兵火に見舞われ、その都度不死鳥のように再生してきた歴史を持っています。「京都における最大の戦乱」として市民の間で語り草となっているのが、室町時代後期の応仁の乱です。11年間にわたる市街戦により、平安京以来の貴族邸宅や壮麗な寺社仏閣の大部分が焼失し、市街地は文字通り荒野と化しました。
近代の幕開けとなった幕末期にも、京都は凄惨な戦場となりました。1864年の禁門の変(蛤御門の変)では、長州藩と薩摩・会津・幕府軍が御所周辺で激突し、発生した大火(どんどん焼け)によって市街地の約3万戸が灰燼に帰しました。さらに1868年の鳥羽伏見の戦いでは、最新の西洋式火砲が投入され、伏見の町並みを中心に深刻な被害を出しています。