村田英雄『花と竜』魂の真相!火野葦平と映画が刻んだ昭和男歌の軌跡
村田英雄『花と竜』魂の真相!火野葦平と映画が刻んだ昭和男歌の軌跡を徹底追究! 知っておきたい 情報と解説を分かりやすく展開します。
昭和30年代後半から40年代にかけて、高度経済成長の只中にあった日本列島では、失われゆく義理人情や泥臭い人間の絆を求める声が渦巻いていました。その時代背景のなかで1964年(昭和39年)に誕生したのが、村田英雄が自らペンを執って作曲を手掛けた渾身の一曲『花と竜』です。
数々のヒット曲を持つ村田にとって、恩師である古賀政男から授かった『無法松の一生』(1958年)や『王将』(1961年)は、歌手としての地位を不動のものにした看板作品でした。しかし、この『花と竜』に注がれた情熱は、それらとは明確に質が異なっていました。作詞に二階堂伸を迎え、作曲を村田英雄本人が担当したという事実こそが、この楽曲に宿る特異な執念を何よりも雄弁に物語っています。
佐賀県に生まれ、幼少期から玄界灘を望む九州の大地で浪曲の巡業を続け、荒波と炭坑の粉塵にまみれた労働者たちの前で喉を枯らしてきた村田英雄の経歴。彼の身体には、北九州の風土と、そこに生きる男たちの血潮が原体験として深く刻み込まれていました。自身の原風景そのものである若松港を舞台にした本作を歌うにあたり、既存の作曲家に頼るのではなく、自らの喉と心臓の鼓動から湧き上がる旋律をそのまま音符に落とし込んだのです。
当時の音楽関係者の回想録によると、村田はスタジオ録音の際、譜面通りに綺麗に収める歌唱を徹底して拒み、浪曲由来の激しい唸り(うなり)と、腹の底から絞り出す慟哭のような小節(こぶし)をあえて過剰なまでに注ぎ込みました。それは商業的なヒットを狙った歌謡曲の枠組みを逸脱し、己の半生と九州男児の誇りを叩きつけるような凄絶なセッションでした。だからこそ本作は、村田英雄という表現者の「自画像」としてファンの胸に刻まれ続けているのです。