ドリフメンバーの現在が衝撃!生存・脱退・ギャラ配分の真相を完全暴露
ドリフメンバーの現在が衝撃!生存・脱退・ギャラ配分の真相を完全暴露の全貌を分かりやすくまとめてご紹介します。
ドリフターズの歴史において最大の転換点となったのが、1974年3月の荒井注の脱退と、直後の志村けんの正式加入です。この交代劇がなければ、のちの『ドリフ大爆笑』や志村けんの黄金期は存在し得ませんでした。
当時、脱退の引き金として語られたのが「体力の限界」でした。『8時だョ!全員集合』は毎週土曜日の生放送であり、金曜夜から土曜本番にかけての綿密なリハーサル、小道具の仕掛けの検証、体を張った激しいアクションが義務付けられていました。最年長であった荒井注は当時45歳を超えており、連日のネタ作り会議と肉体的な酷使に心身が疲弊しきっていたのです。
また、荒井自身が「もう一度、静かに音楽をやったりスナックを経営したりしたい」という本人の私生活への希求を強く持っていたことも自著や当時の報道で明かされています。世間では「いかりやとの確執」がセンセーショナルに噂されましたが、実際には事前にいかりやへ相談を持ちかけ、後任の準備期間を半年以上設けるなど、きわめて計画的かつ円満な脱退劇でした。
そこで白羽の矢が立ったのが、当時付き人を務めていた志村けん(当時24歳)でした。志村は高校卒業間際にいかりやの自宅へ直談判に訪れ、付き人として採用された経歴を持ちます。一度は井山淳と「マックボンボン」を結成して芸能界デビューを果たすも挫折し、再びいかりやの元へ戻って裏方仕事に汗を流していました。
いかりや長介の自著『だめだこりゃ』(新潮社)によると、いかりやはグループのマンネリ化を防ぎ、コントのスピード感を飛躍させるために「圧倒的な若さ」と「ドリフの呼吸を知り尽くした人物」を求めていました。稽古場の隅で誰よりも早くネタを理解し、優れた音楽センスとパントマイムの才能を秘めていた志村の抜擢は、いかりやにとって必然の賭けだったのです。荒井注自身も「アイツなら間違いない」と後押しし、歴史的な世代交代が完結しました。