日本地図を作った人は誰?伊能忠敬だけじゃない驚きの歴史と真相
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歴史的な地図の土台が存在するなかで、圧倒的な精度を誇る地図を作った伊能忠敬。彼が本格的に学問の道へ踏み出したのは、商人家業を引退した50歳の時でした。
現在の千葉県香取市にあたる佐原の豪商・伊能家に婿養子として入り、傾きかけていた家業を見事に立て直した忠敬は、長年の夢であった天文学を学ぶため隠居を決意して江戸へ出ます。そこで出会ったのが、当時幕府天文方(天体観測や改暦を担当する役職)の第一人者であった高橋至時でした。
至時は忠敬より19歳も年下の31歳でしたが、忠敬は至時を心から師と仰ぎ、昼夜を問わず天文学や数学の猛勉強に励みます。忠敬の最初の目的は「日本地図を作ること」ではなく、「地球の大きさを知りたい(子午線1度の距離を割り出したい)」という純粋な天文学の探求心でした。
江戸の浅草天文台から北へ移動し、星の位置を観測して緯度差1度の距離を測定するためには、正確な地上測量が必要でした。当時、鎖国下で治安維持に厳しかった幕府から全国移動の許可を得る口実として、至時と忠敬が提案したプロジェクトこそが「蝦夷地(現在の北海道)の海岸線測量」だったのです。忠敬が最初の測量旅に出発した時、年齢はすでに55歳に達していました。