芥川龍之介の本名は新原だった?改名の真相と生い立ちの衝撃事実
芥川龍之介の本名は新原だった?改名の真相と生い立ちの衝撃事実の疑問点について、専門知識を取りまとめてご紹介します。
一度目にしたら忘れられない「龍之介(戸籍上の正字は舊字体の龍之介)」という力強い名前の由来には、彼がこの世に誕生した瞬間の極めて珍しい暦の重なりが関係しています。芥川家および新原家の伝承によると、彼は「辰年・辰月・辰日・辰の刻」という、十二支の「辰(龍)」が4つすべて揃った日時に生まれたため、それにちなんで「龍之介」と命名されました。
文学史研究や当時の暦データ(国立天文台等の暦換算資料)と照らし合わせて検証すると、そこには興味深い事実が浮かび上がります。彼が生まれた1892年(明治25年)は確かに干支でいう「壬辰(みずのえたつ)」の辰年であり、誕生日の3月1日は日干支で「甲辰(きのえたつ)」の辰日、さらに出生時刻の午前8時頃は十二時辰における辰の刻(午前7時〜午前9時)に完全に一致します。
ただし「辰月」という点に関しては、旧暦(太陰太陽暦)では3月が辰月に該当するものの、1892年の新暦3月1日は旧暦ではまだ2月3日(卯月)にあたるため、厳密な四柱推命や旧暦の干支暦上では「寅月」または「卯月」となります。しかし、明治5年の改暦以降、当時の東京庶民の間では「新暦の3月=3番目の月=辰月」とみなす新旧折衷の解釈が広く行われており、両親や親族が「四つの辰が揃った瑞兆の子」として誇らしく名付けたことは疑いようのない事実です。
一方で、この華々しい名前の裏には、もう一つの奇妙な出生儀式が存在しました。それが「形式的な捨て子」という民間信仰です。
龍之介が誕生した1892年当時、実父・敏三は数え年で42歳、実母・フクは数え年で33歳でした。日本の伝統的な厄年において、男性の42歳と女性の33歳はいずれも最も忌み嫌われる「大厄」にあたります。当時の東京には「大厄の両親から生まれた子どもは育たない、あるいは親に災いをなす」という強い迷信があり、その厄を払うためには一度子どもを捨て、あらかじめ話をつけておいた第三者に拾ってもらって「拾い親」から譲り受ける形をとる風習が根強く残っていました。
実際に新原夫妻は、生後間もない龍之介を自宅近くの辻(あるいは教会前)に形式的に置き去りにし、父・敏三が経営する牛乳販売業「耕牧舎(こうぼくしゃ)」の使用人であった松村浅二郎に拾ってもらうという儀式を執り行っています。本人は後年、この「自分は厄年の子であり、一度捨てられた身である」というエピソードを聞かされて育ち、のちに実母が発狂して本当に実家を離れることになった運命と重ね合わせ、自身の出生に対する拭いがたい宿命論を抱くようになりました。