野球拳の意味と本来の歴史|脱ぐルールの真相と松山発祥の原点
今注目を集めている 野球拳の意味と本来の歴史|脱ぐルールの真相と松山発祥の原点について、主要な情報を分かりやすく掲載しています。
郷土芸能として親しまれていた野球拳が、なぜ日本全国で「脱衣じゃんけん」の代名詞となってしまったのか。その原因は、昭和のテレビ界で巻き起こった凄絶な視聴率戦争にありました。
必読記事
1969年(昭和44年)、日本テレビ系列で放送を開始したバラエティ番組『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』。当時、同時間帯の裏番組にはNHKの大河ドラマ『天と地と』が君臨しており、民放各局は視聴率ひと桁台と壊滅的な敗北を喫していました。この牙城を崩すべく、希代のテレビプロデューサー・井原高忠氏が打ち出した奇策こそが、「ゲストがじゃんけんに負けたら衣服を脱ぐ」という過激なルールを取り入れたコント55号の野球拳コーナーだったのです。
萩本欽一氏と坂上二郎氏の軽妙な掛け合いと、「野球~するなら、こういう具合にしなしゃんせ、アウト、セーフ、ヨヨイノヨイ」というキャッチーなリズムに乗せて、女性ゲストやタレントが服を脱いでいく演出は、瞬く間に全国のお茶の間を席巻しました。同番組の最高視聴率は30%を突破。NHKの大河ドラマを打ち負かすというテレビ史に残る快挙を達成した反面、この強烈な視聴体験が「野球拳=脱衣ゲーム」という誤ったパブリックイメージを日本全国へ決定づけてしまったのです。
当時の報道や手記によると、全国のPTAや婦人会からは「低俗番組の極み」として激しい抗議が殺到。そして何より、誰よりも深く心を痛めたのが、野球拳の生みの親である前田伍健その人でした。伍健は自身の生み出した芸が猥褻な見せ物に改変されたことに憤慨し、テレビ局に対して厳重な抗議文を送るなど、晩年は名誉回復に奔走することとなります。