三原じゅん子の実家と生い立ちの真相|極貧の過去から大臣就任まで
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困窮を極めた三原家を救ったのは、ほかでもない三原じゅん子氏本人の類まれな度胸とタレント性でした。もともと劇団ひまわりに所属して子役活動を行っていた彼女は、家計を支えるためにオーディションを受け続け、1979年にTBS系ドラマ『3年B組金八先生』の山田麗子役に抜擢されます。
劇中で放った「顔はやめなよ、ボディにしなよ」のセリフは日本中の流行語となり、一躍トップアイドル・ツッパリ女優としてスターダムへ駆け上がりました。しかし、スポットライトを浴びるきらびやかな現場から一歩離れれば、彼女が直面していたのは過酷な現実でした。
病に倒れた父親に代わり、未成年でありながらギャランティの大半を実家の借金返済と生活費に充当。睡眠時間を削って歌番組、ドラマ撮影、コンサートをこなす生活を続けました。本人が後に「あの頃は通帳の数字を見ても自分のものという感覚は一切なく、ただ家族を路頭に迷わせないために必死だった」と回想しているように、昭和芸能界における過酷な「一家の大黒柱」としての責任を一身に背負っていたのです。