近代五輪の光と影|クーベルタンの理念から中止の真相まで徹底解剖
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日本のオリンピック史において、記念すべき第一歩が記されたのは1912年の第5回ストックホルム大会でした。「講道館柔道の創始者」であり、アジア初のIOC(国際オリンピック委員会)委員に就任した嘉納治五郎が奔走し、1911年に大日本体育協会を設立。選考会を経て2名の俊英がスウェーデンの地へ派遣されました。
選ばれたのは、短距離走の三島弥彦(東京帝国大学)と、長距離走の金栗四三(東京高等師範学校)でした。シベリア鉄道を乗り継ぐ過酷な長旅を経て現地入りしたものの、世界の壁は厚く、三島は予選敗退や準決勝棄権に終わります。マラソンに出場した金栗は、北欧の記録的な猛暑と極度の疲労からレース途中に熱中症で意識を失い、コースアウトして民家で介抱される事態となりました。
棄権の連絡が競技役員へ正式に伝わらなかったことから、金栗の記録は公式に「行方不明」として扱われました。しかし半世紀以上の時を経た1967年、ストックホルム五輪開催55周年記念式典に招待された金栗は、用意されたゴールテープを切り、「54年8カ月6日5時間32分20秒3」というタイムで完走を果たしたという温かな逸話が残されています。この2人の果敢な挑戦が、今日に至る日本スポーツ界の礎となりました。