Dcブランドとは何だったのか?80年代の狂乱と衰退の真相
Dcブランドとは何だったのか?80年代の狂乱と衰退の真相の真相や最新動向に迫る! 専門的な視点でご紹介しています。
1980年代後半から1990年代初頭にかけて、DCブランドの衰退は急速に進行しました。世間一般では「バブル崩壊による個人消費の冷え込み」が主因と語られがちですが、服飾経済史や当時の業界内部データを精査すると、より本質的な3つの構造的問題が存在していました。
1. プレステージ性の希薄化と過剰なライセンスビジネス
ブームが加熱するにつれ、各アパレルメーカーは利益の最大化を狙い、過度な多店舗展開とライセンスの乱発に走りました。かつては青山や原宿の直営店でしか買えなかった希少なデザイナーズ服が、地方の量販店や駅ビルにまで氾濫した結果、「誰もが着ている当たり前の服」へと成り下がったのです。ブランドの命である「特権性」と「尖った先鋭性」が自ら切り売りされた形となりました。
2. 渋カジの台頭と「ストリート主導」へのパラダイムシフト
1980年代末、渋谷の高校生・大学生の間から自然発生的に生まれた「渋カジ(渋谷カジュアル)」の台頭は、DCブランドにとって決定的な打撃となりました。Levi'sの501ジーンズ、Ralph Laurenのボタンダウンシャツ、紺ブレザーなど、「アメリカの伝統的なリアルクローズを自分流に着崩す」スタイルが若者の支持を奪ったのです。企業や有名デザイナーから与えられる高額なトータルコーディネートへの反発が、ストリート発のムーブメントを生み出しました。
3. インポートブランドの直営化とファストファッションの萌芽
1990年代に入ると、PRADAやGUCCIといった欧州のラグジュアリーブランドが日本法人を設立し、直営旗艦店を次々と開設。ハイエンド層は本場のインポートラグジュアリーへと流出しました。同時に、ユニクロをはじめとするSPA(製造小売業)モデルが台頭し、高品質なベーシックウェアが低価格で手に入る時代へと突入したことで、中途半端な価格帯と品質のDCブランドは完全に挟み撃ちに遭いました。