大日本帝国の国旗は旭日旗だったのか?日の丸との違いと歴史の真相
大日本帝国の国旗は旭日旗だったのか?日の丸との違いと歴史の真相の具体的な内容に迫る! 専門的な視点でまとめました。
国旗が日章旗として定着する一方で、近代軍の創設に伴って特別な象徴を必要としたのが軍隊組織でした。特に洋上を行動舞台とする海軍において、艦船の所属を瞬時に識別する軍艦旗の制定は急務でした。そこで考案されたのが、十六条旭日旗です。
海軍軍艦旗の由来は、1889年(明治22年)10月7日に公布された勅令第111号「海軍旗章条例」にあります。白地の中央からやや左側(旗竿側)に太陽を配置し、そこから16本の赤い光条(光線)が外側に向かって放射状に伸びる意匠が採用されました。日章を中心に置かず、意図的に左へ1/6偏芯させた理由は、旗が風になびいた際に視覚的バランスを美しく保ち、遠方からでも明確に日章を視認できるようにするための高度な視覚デザインでした。
では、そもそも十六条旭日旗の意味とは何だったのでしょうか。太陽が昇る様を描いた旭日の意匠は、古代より日本において「発展」「生命力の横溢」「吉祥」を告げる慶事のデザインとして広く親しまれてきた文様です。戦国武将の馬標や江戸時代の錦絵などにも多用されており、軍事専用のマークとして突如発明されたものではありませんでした。16本の光線は、皇室の菊花紋章(十六八重表菊)の数と共鳴し、天皇を大元帥とする帝国軍の威容を象徴するにふさわしい意匠として厳密に設計されたのです。
この海軍軍艦旗は、軍艦の艦尾に掲揚され、艦艇が戦闘状態に入るとメインマストに「戦闘旗」としても翻りました。軍艦にとって軍艦旗は艦命そのものであり、敵に奪われることを防ぐため、沈没時には旗を降ろして回収するか、丁重に海没処理を行うことが厳格な掟とされていました。