北条高時と腹切りやぐらの真相|800人自刃の歴史と立入制限のリアル
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鎌倉市小町、葛西ヶ谷(かさいがやつ)と呼ばれる切り立った山あいに位置する国指定史跡・東勝寺跡。こここそが、かつて関東を統治した鎌倉幕府が炎とともに消滅した終焉の地です。
元弘3年(正慶2年・1333年)5月、後醍醐天皇の綸旨を受けた新田義貞率いる討幕軍が鎌倉へ侵攻。極楽寺坂、巨福呂坂、化粧坂の各切通しで激戦が繰り広げられた末、稲村ヶ崎を突破した新田軍は市街地へ雪崩れ込みました。防衛線を破られた執権・北条高時ら一族は、北条泰時が創建した菩提寺である東勝寺へと退却を余儀なくされます。
軍記物語『太平記』には、高時を中心に一族や重臣、家臣ら合計870人余りが寺に火を放ち、次々に腹を切り、差し違えて炎の中に身を投じた凄絶な光景が記録されています。自刃した者の中には、名将として知られた金沢貞顕や安達時顕ら幕政の中枢を担った重鎮たちが名を連ねていました。この集団自刃によって、源頼朝以来140年以上続いた鎌倉幕府は完全に滅亡しました。
寺院跡の最奥部、崖面を人工的に掘り抜いて造られた横穴墓(やぐら)の内部には、現在も高時一族を慰霊するための北条高時供養塔(五輪塔・宝篋印塔)が安置されており、この洞穴が通称「腹切りやぐら」と呼ばれています。