風林火山の続き「陰・雷」の真相|信玄が省いた理由と孫子の奥義

風林火山の続き「陰・雷」の真相|信玄が省いた理由と孫子の奥義にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

ネット上のQ&Aサイトや歴史系掲示板において、風林火山に関する事実誤認がいくつか散見されます。歴史のリアリティを正しく捉えるために、代表的な3つの誤解を正しておきましょう。

誤解①:「信玄が孫子の後半をうっかり忘れて4文字にした」という説
これは完全な俗説です。武田信玄は禅僧の快川紹喜に帰依し、軍師の山本勘助(あるいは武田家家臣団の知識層)らとともに漢籍を体系的に学んでいました。当時の武士階級における教養レベルは極めて高く、『孫子』全13篇を諳んじることは武将の基礎教養でした。意図的な取捨選択であり、知らなかった・忘れたということはあり得ません。

誤解②:「陰や雷は武士道に反する汚い戦法だから外された」という説
戦国時代の武将が抱いていた価値観は、江戸時代に体系化された儒教的「武士道」とは異なります。生き残りと家名の存続が最優先される戦国乱世において、調略や夜襲、敵を欺く情報戦(陰)は日常茶飯事であり、称賛されるべき武功でした。「正々堂々としていないから旗から外した」という説明は、後世の倫理観を戦国期に当てはめた時代錯誤な解釈です。

誤解③:「そもそも風林火山という言葉自体が当時から旗に書かれていた」という説
実は、信玄の旗に「風林火山」という4文字がそのまま並んで書かれていたわけではありません。旗に記されていたのはあくまで「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の16文字です。これを「風林火山」と略して呼ぶようになったのは、後世の創作物や明治以降の近代軍事史・歴史小説(井上靖の小説『風林火山』など)の普及による影響が大きいとされています。当時は「孫子四如の旗」と呼ぶのが正式でした。

山崎 陸

山崎 陸

ガジェット&アプライアンスライター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest