昔のプリクラと今の違いに驚愕!平成の歴代名機と盛り進化史
昔のプリクラと今の違いに驚愕!平成の歴代名機と盛り進化史の要点を分かりやすくまとめてご紹介します。
プリクラの歴史は、ゲーム会社アトラスの女性社員・佐々木美恵氏の「女子中高生が手帳に友人の写真を貼っている姿」への着眼から始まりました。1995年7月、アトラスとセガの共同開発によって世に送り出されたのが、すべての元祖である『プリント倶楽部 初代』です。
しかし、稼働当初の設置場所は薄暗いゲームセンターが中心であり、男子ゲーマーが主流だった現場では見向きもされず、事業としては失敗寸前の状態に追い込まれていました。この状況を一変させたのが、1996年に人気アイドルグループ・SMAPが冠番組『SMAP×SMAP』の視聴者プレゼント企画として自身の限定プリクラを配布した出来事です。
番組放映直後から、全国の女子中高生がゲームセンターへ殺到。女子高生(JK)ブームやコギャル文化と完璧に共鳴し、最盛期にはアトラス単体でシール機関連の売上高が数百億円規模に達する空前の90年代 プリクラブームが巻き起こりました。
「昔のプリクラ帳(プリ帳)」に刻まれた青春のリアル
当時のティーンエイジャーにとって、撮影したシールをコレクションする「昔のプリクラ帳(プリ帳)」は、自己のアイデンティティそのものでした。手帳のリフィルや無地のミニノートを用意し、1ミリの隙間もなくシールを重ね貼りしていく作業は、当時の女子学生における放課後の最重要タスクでした。
プリ帳は単なる保管場所ではなく、学校内における「交友関係の広さ」を証明するステータスシンボルとしても機能していました。他校の生徒や初対面の友人同士が「プリ交換しよ!」と声を掛け合い、裏面にPHSの電話番号やメールアドレスを書き込んで手渡す行為は、現代のInstagramアカウント交換と全く同じコミュニケーションの役割を果たしていたのです。