百済・新羅・高句麗の激闘史!日本を揺るがした三国時代と統一の真相
百済・新羅・高句麗の激闘史!日本を揺るがした三国時代と統一の真相にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。
Q1:百済、新羅、高句麗の中で、日本と最も仲が良かった国はどこですか?
A1:歴史を通じて最も親密な同盟関係にあったのは百済です。百済は倭国へ仏教や五経博士、造寺・絵画技術を送り、倭国はその見返りとして兵力や武器の供給を行いました。百済滅亡時には日本が国家の総力を挙げて白村江の戦いへ救援に向かったほど強固な関係でした。
Q2:なぜ高句麗の広開土王碑に日本のことが書かれているのですか?
A2:高句麗の好太王(広開土王)の軍功を称える碑文の中で、「高句麗がいかに強大な敵を破ったか」を示す文脈として、海を渡って半島南部に進出してきた倭国軍の存在が記録されています。敵役としての倭軍を撃破したことを誇る記述ですが、結果として当時の日本軍が半島中南部まで遠征していた有力な証拠となっています。
Q3:新羅が半島を統一したあと、日本との関係はどうなったのですか?
A3:白村江の戦いの直後は緊張関係が続きましたが、新羅が唐と対立関係に入ると、背後の安全を確保するため新羅側から日本へ多数の使節が送られるようになりました。奈良時代には一時的に朝貢形式をめぐる外交摩擦が生じたものの、民間の交易や仏教文化の交流は途絶えることなく継続しました。