ハマコー(浜田幸一)伝説の真相|乱闘名言と息子の現在を徹底解剖
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ハマコーの真骨頂は、政治の危機や緊迫した場面において放たれた「圧倒的な行動力」と「感情を揺さぶる名言」にあります。報道各社の記録や自著で語られた数々のエピソードの中でも、特に後世へ語り継がれる歴史的場面を検証します。
四十日抗争でのバリケード破壊と「可愛い子供たちの時代のために」
1979年の「四十日抗争」では、自民党内の主流派(大平正芳派・田中角栄派)と反主流派(福田赳夫派・三木武夫派など)が激しく対立し、国会内の自民党本部や通路に机やパイプ椅子で強固なバリケードが築かれました。この膠着状態を一撃で打破したのがハマコーでした。
自らバリケードの机を投げ飛ばし、身体ひとつで強行突破を図りながら叫んだ言葉は、昭和政治史に残る名言として刻まれています。
「いいか、断っとくけどな、可愛い子供たちの時代のために自民党があることを忘れるな! お前らのためにだけ自民党があるんじゃないぞ!」
この発言は、派閥の私利私欲に走る先輩議員たちを一喝した魂の叫びとして、敵味方を問わず強い共感を呼びました。
衆院予算委員長での「宮本顕治共産党議長・殺人者」発言
1988年2月、衆議院予算委員長を務めていたハマコーは、質疑応答中に日本共産党の宮本顕治議長(当時)の過去の事件(スパイ査問事件)を引き合いに出し、「宮本顕治君は殺人者であります」と発言。議場は騒然となり、野党の猛反発によって国会は完全ストップしました。最終的に浜田氏は引責辞任に追い込まれましたが、一切の妥協を排して正面衝突する姿勢は、ハマコースタイルを決定づける象徴的事象となりました。