柳条湖事件の真相とは?満州事変の発端と自作自演の全貌を徹底解説

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柳条湖事件の発生後、張学良は武力衝突の拡大を避けるため部隊に「無抵抗」を命じました。しかし、関東軍は電光石火のスピードで吉林、長春、ハルビンなど主要都市を次々と武力占領。若槻礼次郎首相率いる日本政府の「不拡大方針」は現地軍によって完全に無視され、翌1932年3月には清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を執政(のちに皇帝)に据えた傀儡国家「満州国」の建国を宣言しました。

中国側の提訴を受けた国際連盟は、イギリスのヴィクター・リットン卿を団長とする「リットン調査団」を満州へ派遣。数ヶ月に及ぶ現地調査の結果、1932年10月に提出された報告書は極めて客観的かつ精緻なものでした。

リットン報告書は、日本が主張した「自衛権の行使」を明確に否定し、満州国が現地住民の自発的意思によって成立した国ではないと断定しました。一方で、満州における日本の既存権益や安全保障上の懸念にも一定の理解を示し、中国の主権下に自治政府を置く妥協案を提示していました。

しかし、国内世論の沸騰と軍部の強硬姿勢に押された日本政府は、1933年2月の国際連盟総会で報告書が42対1(反対は日本のみ、タイは棄権)で採択されたことを受け、全権・松岡洋右が議場を退場。同年3月、正式に国際連盟脱退を通告し、国際協調路線を完全に放棄する孤立への道を選択したのです。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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