二・二六事件の真相とは?青年将校の動機と処刑の裏側を徹底解説

二・二六事件の真相とは?青年将校の動機と処刑の裏側を徹底解説の真相や最新動向に迫る! 専門的な視点でまとめました。

鎮圧後、国家反逆者となった将校たちを待ち受けていたのは、異例ずくめの報復的な司法手続きでした。設置された「東京陸軍軍法会議」は特設のものであり、一審制(上訴不可)・非公開・弁護人なしという徹底した秘密裁判でした。

なぜここまで厳格かつ迅速な裁判が行われたのか。その最大の理由は、五・一五事件の際の公開裁判で被告たちが自らの思想を大演説し、世論の同情と減刑嘆願を集めて軍部の統制を失わせた苦い教訓があったからです。さらに、裁判を通じて皇道派の黒幕である陸軍高官たちの関与や、宮中関係者との接触といった軍部にとっての暗部が白日の下に晒されることを防ぐ「口封じ」の側面も極めて強かったとされています。

7月5日、反乱を指揮した首謀者たちに対し、陸軍刑法第25条の叛乱罪が適用され、死刑判決が下されました。わずか1週間後の7月12日、代々木の陸軍衛戍刑務所(現在の渋谷区役所周辺)において、安藤輝三、香田清貞、栗原安秀ら15名の青年将校が銃殺刑に処されました。

さらに翌1937年8月には、事件の背後で思想的指導を与え資金援助を行っていたとして、思想家の北一輝と西田税も銃殺刑に処されています。首謀者の一人であった磯部浅一元一等主計は、獄中で記した『獄中日記』の中で、自らを叛乱軍として切り捨てた軍上層部と昭和天皇への激しい怨嗟を綴りながら、翌年に銃殺されました。純粋な義憤から発したはずの行動は、最悪の形で自らの命を奪う結末を迎えたのです。

林 結菜

林 結菜

ライフスタイル編集者

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest