沈まぬ太陽のモデルと実話の真相|恩地元の生涯と結末を徹底解説
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主人公・恩地元のモデルとなった実在人物が、元日本航空社員であり労働組合委員長を務めた小倉寛太郎(おぐら かんたろう)氏です。
1930年生まれの小倉氏は、東京大学法学部を卒業後、1953年に日本航空へ入社しました。当時の日本航空は、半官半民のナショナルフラッグキャリアとして急成長を遂げる一方、現場の労働環境や安全管理体制には深刻な歪みが生じていました。小倉氏は周囲に推されて労働組合の委員長に就任すると、徹底した対話と筋を通す交渉姿勢で組合員を率い、経営陣と激しく渡り合いました。
会社中枢が下した報復は過酷を極めました。1960年代初頭から、カラチ(パキスタン)、テヘラン(イラン)、ナイロビ(ケニア)へと、社内規定を大幅に逸脱した海外僻地への転勤命令が連続して下されたのです。当時の通信事情や生活インフラを考慮すると、事実上の「社内追放」「流刑」に等しい措置でした。小倉氏本人の回想や自著によると、現地での孤独な業務環境や家族への負担は想像を絶するものであったにもかかわらず、小倉氏は決して会社に屈せず、アフリカの雄大な自然と野生動物の生態を記録・研究することで精神の均衡を保ち続けたといいます。
帰国後、中曽根康弘首相(作中の竹丸副総理などのモデル背景)による指名でカネボウから日航会長に就任した伊藤淳二氏(作中の国見正憲会長のモデル)の補佐役として改革に奔走した経歴も、ほぼ原作の描写と合致しています。小倉氏は伊藤会長の退任に伴い、再びナイロビへと異動を命じられ、1990年に日本航空を退職。その後はアフリカ研究者・写真家として多数の著作を発表し、2002年に71歳で逝去されました。