今治商店街の現在地とは?再開発の真相と変革の現場を徹底解剖
今治商店街の現在地とは?再開発の真相と変革の現場を徹底解剖の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。
なぜ今治商店街はこれほどの急激な構造変化を経験することになったのか。その経緯解説には、今治特有の交通インフラと都市計画の歴史が深く関係しています。
かつての今治は、瀬戸内海を往来するフェリーや高速艇の発着拠点である「今治港」が街の心臓部でした。港からJR今治駅へと向かう動線上に今治銀座や本町商店街が位置していたため、船を待つ乗降客や島嶼部からの買い物客が自然とアーケードへ流れ込む、極めて強固な歩行者動線が形成されていたのです。
しかし、1999年の瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)の開通が大きな転換点となりました。本州と四国が橋で直結された利便性と引き換えに、旅客航路の多くが減便・廃止となり、港を起点とした人流が激変しました。
さらに2010年代以降、モータリゼーションの進展に伴い、市街地郊外へ大型商業施設(イオンモール今治新都市など)が進出。広大な無料駐車場を備えた郊外型SCに日常の買い物客がシフトしたことで、駐車場確保が難しく道幅の狭い中心部商店街の商店は次々と閉店を余儀なくされました。このように、今治商店街の空洞化は個別店舗の企業努力不足ではなく、島と港を軸とした交通結節点から車社会への移行という不可抗力的な都市構造の変化によって引き起こされたものです。