種子島の鉄砲伝来と国産化の真相!戦国日本を塗り替えた技術力の正体
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日本史の大きな画期となった鉄砲伝来は1543年(天文12年8月25日)、種子島南端の西村浦(現在の鹿児島県南種子町・前之浜付近)に、明国船が漂着したことから始まります。船内には明の商人だけでなく、見慣れぬ風貌をしたポルトガル人の姿がありました。彼らが所持していたのが、轟音とともに標的を撃ち抜く火縄銃(マッチロック式銃)でした。
この未知の武器の威力にいち早く着目したのが、種子島を統治していた若き領主・種子島時堯です。時堯は射撃の実演を目撃するや否や、国防と領地発展の鍵になると直感し、ポルトガル商人から二挺の火縄銃を買い取りました。このときに支払われた鉄砲の購入価格は、記録によると金2,000両という破格の巨額でした。現在の貨幣価値に換算すると数千万円から1億円以上に匹敵する天文学的な数字であり、小領主の財政からすればまさに命運を賭けた大勝負だったことが分かります。
なお、中学・高校の歴史で頻出する鉄砲伝来の年号の覚え方としては、「以後予算(1543)増える鉄砲伝来」や「以後賞賛(1543)される鉄砲伝来」といった語呂合わせが定番として広く親しまれています。
近年の歴史学において注目されているのが鉄砲伝来ルートの真相です。かつては「暴風雨による単なる偶然の遭難・漂着」と語られがちでしたが、実際には当時東シナ海で強大な勢力を誇っていた後期倭寇の頭領・王直(おうちょく)が案内役として同乗していました。つまり、東アジア全域に張り巡らされていた国際密貿易ルートの結節点として種子島が選ばれたという、極めて必然性の高いグローバルな経済活動の一環だった側面が浮き彫りになっています。